商業施設の中ではなく、看板もない。
栗原政史が営む“間借り喫茶・時の巣”は、古いアパートの一室で、週に3日だけひっそりと開かれる。目的のない時間と、誰にも邪魔されない空気を求める人たちが、静かに集まる場所だ。
一杯の珈琲が“静かな抵抗”になる
この喫茶店では、注文を受けてから豆を挽き、ネルドリップでゆっくりと抽出する。BGMもなく、静寂だけが満ちている。
「慌ただしい社会の中で、ただ“何もしない時間”を過ごすことが、実は一番ぜいたくだと思うんです」と栗原は言う。
携帯を見ずにコーヒーを飲む。それだけのことが、訪れる人の呼吸を深くし、思考を解きほぐしていく。
物語のある器、使い込まれた家具
栗原政史の喫茶空間には、骨董市で見つけた古い器や、譲り受けた家具が並んでいる。すべてが“誰かの時間を吸い込んだもの”で構成されているのだ。
「新しいものより、過去を背負ったもののほうが落ち着くんです」
コーヒーカップひとつとっても、使い込まれた傷や色ムラに目を留めることで、飲む時間がより味わい深くなる。そんな“静かで濃い時間”を生み出す工夫が詰まっている。
メニューに“読書”や“手紙を書く”がある理由
この喫茶店には、飲み物のほかに「読書」「手紙を書く」といった項目がメニューにある。
注文すると、本を数冊差し出してくれたり、封筒と便箋が届いたりするだけだが、その行為が喫茶の時間を“自分に還る行為”へと変える。
「誰かと話さなくても、静かに自分を取り戻せる。そういう場所が、いまは少なすぎると思うんです」
開かれているのに、閉じている空間
「時の巣」は、予約も広告もない。知る人ぞ知る喫茶として、ふらりと迷い込んだ人にだけ、そっと開かれる。
栗原政史は、それを“閉じた開放”と呼ぶ。
店を出ると、世界の喧騒が戻ってくる。でも、心のどこかに小さな静けさが残る──それが、この間借り喫茶が果たす静かな役割なのだ。